石田三成とは刎頚(ふんけい)の友と呼ばれるほど仲が良かった。大阪城で行われたお茶会にて、当時ハンセン病であった吉継の飲んだお茶に膿が入ってしまい、他の武将は飲むふりだけしていた中、石田三成はそのお茶を一気に飲み干したことにより、二人の友情は深まったといわれている。関ヶ原では西軍首脳として参加も、壊滅。無念を抱き、自害した。辞世の句は「契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも」