数多くの戦いに参加したのち、徳川四天王として家康を支えた武将。関ヶ原では東軍に従軍していた。戦国最強と言われ、戦場に出ても一切の傷を負わずに帰ってきた。服装は、自らが葬った敵を弔うため、肩から大数珠をさげるのが常であったといわれる。体の衰えを理由に隠居した後、好きな彫刻を制作中に小指を切り、生まれて初めての刀傷であったので、死期を予言して遺書を書いたといわれている。